君の未来は自由研究の捉え方次第......

今週のお題「自由研究」

自由研究とは,主に小学校の夏休みの課題という文脈で用いられ,自らテーマを設定して,観察や図画工作,採集,実験などを行う課題の呼び名である。子どもにとっては,初めて研究に触れる機会であり,自ら興味を持ったテーマについて時間を忘れて没頭できるため,面倒くさくはあっても,嫌な思い出として残っている人はあまりいないのではないか。

そして,自由研究の次に研究に触れる機会は,大学の卒業研究である。もちろん,講義の課題やゼミなどで研究をすることはあるが,あくまでそれらは,研究手法や知識,心得を学ぶための勉強,もしくは訓練にすぎない。卒業研究は,自らテーマを設定して,実験や調査を通して自力で答えを導き出すというものであり,文字面だけ見れば,単に自由研究の応用版のように思える。

しかし,自由研究と卒業研究,この二つには大きな違いがあるのだ。それは,「研究」という言葉の意味合いである。

では早速,両者の「研究」という言葉が持つ意味について説明していく。

まず,自由研究の「研究」とはどのような意味か。ずばり,「なんかかっけー!」である。実態に即したネーミングは自由課題あたりが適切であろう。しかし,そんなありきたりな名前では世を知らぬ純粋な子どもの心を鼓舞することはできない。そこで採用されたのが「研究」である。

子どもにとって研究という言葉は,博士や伝記などでしか目にすることのない大人感の強い言葉である。例えば,博士といえば「阿笠博士」や「オーキド博士

」,伝記といえば「エジソン」や「ライト兄弟」といったように,研究をする方々は皆ロマンに溢れているのだ。

このような背景があるので,自由研究という名前をつければ,子どもは「博士じゃん!」「ロマンじゃん!」「なんかかっけー!」と大盛り上がりし,意気揚々と本来は面倒くさい夏休みの課題に取り組んでくれるのである。

一方で,卒業研究の「研究」とはどのような意味か。ずばり,「新規性・社会的意義・集大成・単位・諮問会」である。大学生ともなると,子どものように「研究?博士!なんかかっけー!」とはならず,「新規性と社会的意義を担保するテーマを見つけて,大学で学んだ知の集大成にふさわしい内容の論文を書き,諮問会での教授とのバトルに勝利し,卒業するための単位をもらわなければ..............」というように地に足をつける必要があるのだ。ましてや,研究と聞いて阿笠博士エジソンなど思い浮かぶはずもなく,想起されるのは教授の顔面ばかりである。

このように,自由研究と卒業研究の「研究」という言葉の意味には大きな違いがあるのだ。

そう考えると,自由研究の次に触れる研究の機会が卒業研究というのは,初めに夢を見させて,後に現実を直視させ地獄に突き落とすという,ある種の詐欺的なものを感じる。

さて,小学生がこのブログを見なければよいが,もし万が一見てしまったとしたら,自由研究の「研究」を卒業研究の「研究」に近い意味合いで捉え,課題に取り組むことをおすすめする。

具体的には新規性と社会的意義を担保するのだ。これらを担保するためには,先行研究を知り尽くすことが絶対条件となってくる。これは大変な作業であるが,新規性と社会的意義があるものとないものでは,成果物の価値に雲泥の差が生まれる。

小学生が設定するテーマならば,そこまで難しい論文を読み漁る必要もないだろうし,なにか1mmでも新しい結果を得ることができれば,表彰とはいかないまでも,多くの大人が心から感心,賞賛してくれるであろう。

この経験は,必ず将来に役立つので,騙されたと思って是非試してみて欲しい。

試さなかった世界線は,そこら辺の大学生が実践してくれているので,是非試してみて欲しい。切実に。