改札でドラミングを披露したあの日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

「記憶に残っている、あの日」がお題ということで、過去に何か印象的な一日があっただろうかと記憶を辿ってみた。
漁港で新鮮ないくら丼を食べた日、彼女に振られた日、受験に合格した日、初めてマクドナルドのハンバーガーを食べた日、、。たった25年の人生とはいえ、日数にすればおよそ9000日、記憶に残っている一日は山ほど思い浮かぶ。
記憶に残るくらいなのでどの日も印象的であるし、各々それなりに濃いエピソードもある。しかし、これらを羅列してみたところで、過去の出来事という括りにおいては対等であるので、結局どの日にも特別感はなく、わざわざ記事にするものでもないような気がしてしまう。
こんな感じで、何かいい日ないかな、、とだらだら考えること5分。ふと、漁港で新鮮ないくら丼を食べた日や彼女に振られた日といった、過去の思い出とは少し異質な「あの日」があることを思い出した。
それは、昨夜夢で見た2026年某日である。
現実で起こった出来事ではないし、日付も未来のものであるが、「記憶に残っている、あの日」には違いない。
私の場合、どんなに面白い夢を見ても、後で思い返そうとした頃には綺麗サッパリ忘れてしまっていることが多い。しかし、昨夜見た2026年某日の夢は、断片的ではあるがなぜかしっかりと記憶に残っている。このようなことは初めての経験であり、夢の内容もやけにリアルだったため、「記憶に残っている、あの日」の対象として自信を持ってエントリーしてよいだろう。
では早速、記憶に残っているあの日の内容を書いていく。
2026年某日の私は30歳であり、大人真っ盛り、サラリーマン真っ盛りという真っ盛り真っ盛りな毎日を過ごしていた。
現実と同じく、仕事はシステムエンジニアを頑張っているようだが、どうやら2026年某日の自分は副業もやっているようであった。
場面は、システムエンジニアとして勤める会社に出勤する朝。最寄り駅まで自転車で向かい、改札を通る。ここまでは現実通りだが、大きく異なる点があった。
なんと2026年某日の私は、このタイミングであの副業をこなしていたのだ。そしてその副業とは「ドラミング」であった。
あのゴリラの代名詞であるドラミング、まさにドラミングとしてイメージするそれを、改札で披露していたのである。
恥ずかしげもなく雄たけびを上げ、得意げに胸を打ち鳴らす自分、そして、そんな自分に見向きもせず通り過ぎる学生やサラリーマン。
このあと数分間ドラミング披露し、一仕事終えた自分のもとに市長がやってきて金銭の授受と表彰をするという流れがあるのだが、まさに夢という感じで、頑張って記憶を辿っている現実の自分はもう胃もたれしている。
「記憶に残っている、あの日」の内容は以上であるが、明らかにおかしな光景が夢の中では至極当然のことのように行われている出来事なのだから、夢というのは不思議なものだと改めて感じる。
そして、これを読んでいる皆さんは、他人の夢の話を聞くことより無駄な時間ないと改めて感じたことだろう。