血液マーキング事件

今週のお題「赤いもの」

私たち人間にとって最も身近で、決して欠かすことのできない「赤いもの」といえば、血液である。そんな血液に関する思い出といえば、今から5年前、「血液マーキング事件」が思い出される。

その日の私は非常にウキウキしていた。待ちに待った原付の納車日であったのだ。

当時は大学2回生、大学受験時代にドはまりした『水曜どうでしょう』の名物企画「カブの旅」に憧れて早3年。今思い返せば、この3年間は、両親に原付購入の資金を援助してもらうためのアピール期間であった。日々真面目に勉学に励み、必死に孝行息子を演じ続けた結果、ついに日頃の行いの素晴らしさが認められ、両親に資金を援助してもらうことが決定したのである。

そんなめでたい日であったので、貧乏大学生なりに少々豪華な夜ご飯を作ってやろうと意気込んでいたのを覚えている。メニューは確か、サイコロステーキをカレーにぶち込むという、いかにも貧乏大学生らしい、貧乏な発想から生まれた御馳(痴)走であった。

その貧乏カレーに入れるための人参を切っていたときに最初の事件は起こった。実際は事件というほど大層なものではないが、指を包丁でサックリと切ってしまったのである。包丁で指を切ってしまった経験がある方は分かると思うが、意外と簡単に傷口が開き、想像以上の血液があふれ出して止まらないのだ。とはいえ、こんなことは料理をしていればよくあること。すぐに応急処置をし、このときはそこまで気にとめていなかった。

その後は順調に貧乏カレー作りが進み、粗方完成したところで、いよいよバイク屋に原付を取りに行く時間になった。

数十分後、無事に原付を受け取り、バイク屋から乗って帰ることになったのだが、せっかく待ちに待った原付を手に入れたのである。そのまま直帰するのは面白くないと思い、少し大回りをして帰路につくことにした。

ここからが、かの有名な「血液マーキング事件」の本筋である。

憧れの原付に跨り、にやにやしながら家へ向かっている最中、ふと右手が湿っていることに気付いた。湿っているといるよりは、なんだかビチャビチャしているのだ。嫌な予感がして、原付を路肩に止め、念のため確認してみることにした。

スマホのライトで照らしてみると、案の定右手が真っ赤に染まっていた。料理で怪我をした際の傷口が、原付のスロットルを回す動作により開いてしまったのだ。一刻も早く血を止めたかったが、大回りルートを選択してしまったばかりに、家まではまだ距離があり応急処置をすることもできない。仕方なく、走り続けることにした。

冒頭で、原付に憧れて早3年と書いたが、原付の運転経験はこの時点で10分ほどである。そんな状態であるから、スロットルを握る手にも力が入り、当然血液は溢れ続けてもやは右手はビショビショである。一体どれだけの血液を道路に滴らせただろうか。グリム童話ヘンゼルとグレーテル』で、石やパンくずを道に落とすことで、目印にしていたというストーリーがあったが、石やパンくずが血液になっただけで、やっていることはほどんど同じである。

朝になって、道路を見た人はさぞかし驚いたであろう。誰かの血液が、まるで道順を示すかのように道路にマーキングされているのだから。

以上が「血液マーキング事件」の全貌である。いつかまた同様のお題があれば、次は「血液メイキング事件」について語ることにしよう。

ではまた。

 

 

 

 

 

叫ぶとはこういうこと

今週のお題「叫びたい!」

「叫びたい!」と思うときなどあるのだろうか。私はない。しかし、「今週のお題」になるくらいだから、多くの人にとってはなじみ深いお題なのだろう。

今週のお題」の説明を読むと、「幸せいっぱいで叫びたいこと」「ストレスを発散するために叫びたい!」が例として挙げられている。幸せいっぱいなときや、ストレスを発散したいときは私にだってある。なるほど。世間の人はこのようなときに叫んでいるということか。

しかし、一体いつ、どのように叫ぶのだろうか。仮に私の友人が幸せいっぱいな状態にあるとして、いきなり隣で「幸せ!あああああああああああああああああああ!!」などと叫ばれた日にはもう絶交である。だってどう考えても変じゃないか。とはいえ、私は今までこのような場面を経験したことがないので、もしかすると他人がいるところでは叫ばないのかもしれない。

なるほど。叫ぶときは周囲に人がいないとことで、1人で叫ぶのだろうということがなんとなく分かった。では、次の問題は叫び方である。先ほど例に挙げた、「幸せ!あああああああああああああああああああ!!」というのは、自分で書いておいてなんだが、正直現実的でないように思える。だって、「あああああああああああああああああああ!!」と叫んだところで、何か自分にとってプラスなことがあるとは思えないじゃないか。せっかく叫ぶからにはそれなりのメリットが必要である。「今週の話題」の説明で挙げられていた例から考えると、叫ぶ目的は、自分の気持ちをポジティブにする、もしくは、既にポジティブな気持ちを促進することであると分かる。

そうなると、叫ぶことで思わずクスッとしてしまったり、ガハハと大笑いしてしまうことが叫びのベストであると考えられる。では、この考えをもとに、「幸せ!あああああああああああああああああああ!!」を添削してみよう。

「しああああああああわせ!!」「しいいいいいいあわせ!」「しいいいいあ!わせ。」「しあわ。せ!!!!」

こんな感じだろうか。添削する上で重視した点は、変なタイミングで叫びを入れる、もしくは、変なタイミングで叫び、かつ、テンションの落差をつける、の2点である。これを読んでいる皆様には是非、序盤に挙げた「幸せ!あああああああああああああああああああ!!」と、今回添削したものを、それぞれ実際に叫び、どれくらい差があるかを試していただきたい。恐らく、後者の方が圧倒的にポジティブな気持ちになれるはずである。

私は、今まで叫ぶということをやってこなかったが、「今週のお題」を通して、叫ぶことのメリットがなんとなく分かったような気がする。これからは、どんどん叫んで、ポジティブな人生を送ろう、そう固く決意したところで、本記事の締めとさせていただく。

それえええええええええええ!で。わ!!!!ま。た!!!

王道K-POPとMAMAMOO

はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選

「好きなMAMAMOOの楽曲10選」を挙げていきたいと思う。MAMAMOOはK-POPにおいて、かなり個性的な特徴を持つ4人組グループである。個性的な特徴と言うからには、他の多くのグループに共通する傾向がMAMAMOOには見られないということを、まずは説明しなければならない。

一般的に、K-POPはレベルが高いと言われることが多い。確かに、楽曲の音質は良いし、世界の流行もいち早く取り入れている。また、ヴィジュアル、歌唱力、ダンスについても、どのグループも大変クオリティの高い仕上がりとなっている。しかし、別の見方をすれば、これこそがK-POPの弱点となってしまっている事実もあるのだ。

つまり、どのグループも、同じような「クオリティの高いグループ像」を目指すあまり、差別化を図ることが難しくなってしまったのだ。同じような方向性のグループが大量に存在することにより、せっかくのクオリティの高さが「王道」に成り下がってしまったということである。

また、K-POPの風習で、リップシンクというものがある。簡単に言えば口パクだ。K-POPでは、パフォーマンスの際に、予め歌唱が録音された音源を流し、その音源に被せて歌を披露する、もしくは口パクでパフォーマンスをする習慣がある。勿論、激しいダンスをしながら難易度の高い楽曲を歌うことの難しさは分かるのだが、逆に、わずかなピッチのずれも顕著になり、クオリティを下げてしまっているような気がするのだ。さらに、楽曲の音域が、メンバーの音域に適していないことが多く、歌が上手いと評判のメンバーでさえ、実力を出し切ることができていないという傾向もある。

このような実態を考えると、グループのメンバー一人ひとりの個性を軽視し、グループ全体としてのクオリティの高さを求めるがあまり、パフォーマンスに自由度や余裕がなくなってしまっているように思えてならない。

以上が、多くのグループに見られる傾向であり、次に、比較対象のMAMAOOについて説明していく。

上記に挙げた傾向と比較して、MAMAMOOの特徴と言えるべき点は、メンバーの個性を生かしたパフォーマンス、そして、クオリティのスタンダードをメンバー個人に委ねている点である。

多くのK-POPグループでは、グループ全体として、ダンスや歌唱にいかにまとまりがあるかが重視される傾向がある。一方で、MAMAMOOは、どのメンバーも十分な歌唱力を持ち合わせており、声質や得意とするジャンルも各々異なっているという特徴がある。つまり、メンバー個人のパフォーマンス力をいかんなく発揮できる稀有な実力派グループであるのだ。

このように、メンバー個人のパフォーマンス力が高く、歌唱力も安定しているため、被せの音量も他のグループに比べて控えめであり、アドリブや歌詞のミスといった、純粋に音楽を楽しむ姿勢や、人間らしい一面を見られる点もMAMAMOOならではの特徴である。

また、ヴィジュアルやダンスについても、グループとして一定のクオリティを設けているわけではなく、メンバー個人が、各々のスタンダードに従って、自然に表現をしている点も他の大多数のグループには見られない特徴である。このような現代風な考え方は、ファンの共感を得やすく、どこか高嶺の花であったK-POPアイドルを身近に感じることができるという点で、大変革新的なスタンスであるといえる。

以上が、冒頭に述べた「MAMAMOOはK-POPにおいて、かなり個性的な特徴を持つ4人組グループである」という言説の根拠である。

随分と前置きが長くなってしまったが、書いているうちに疲れてしまったので、前置きだけで記事を書くのを終えることにする。最後に、「好きなMAMAMOOの楽曲10選」を挙げて、この記事の締めとする。ではまた。

好きなMAMAMOOの楽曲10選
  • You're the best

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  • I love too

www.youtube.com

www.youtube.com

  • Love Lane

www.youtube.com

  • Wind flower

www.youtube.com

  • Better

www.youtube.com

  • Yes Iam

www.youtube.com

  • Girl Crush

www.youtube.com

  • woo hoo

www.youtube.com

  • High Tension

www.youtube.com

 

 

 

 

文句を言いながらも答えた

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

戦艦ポチョムキン」という映画をご存知だろうか。1925年に公開されたソビエト連邦サイレント映画である。オデッサの階段と呼ばれる虐殺シーンが大変有名であるが、この質問に回答する上では、映画の内容はどうでもよい。私が惹かれたのは「ポチョムキン」という単語の響きである。

ポチョムキンのブログ」にしてもよかったのだが、ただでさえ角ばっているカタカナが字面の90%を占めるとなると、せっかくの単語の響きも抑えられてしまうのである。そういったわけで、最終的に「ぽちょむきんのブログ」というふんわり系のブログ名が誕生したのだ。

はてなブログを始めたきっかけは?

果たしてこの質問の答えを知って得をする人はいるのだろうか。

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

1問目は真面目に答えてみたが、これらの質問に答えることに段々と懐疑的になってきた。まだ、3問目。

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

もう少しで折り返し地点だ。終わりが見えてきたと同時に、質問に答えることに反抗している自分が恥ずかしくなってきた。次の質問は少し頑張ってみよう。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

下書きに記事を保存するほど熱心に取り組んでいないのが現状である。下書き保存未経験であるので分からないが、おそらく下書きに保存したが最後、その記事は日の目を見ることはないだろう。

自分の記事を読み返すことはある?

あるわけがない。どの記事も勢いに任せて書いているため、クオリティは酷いものである。勢いに任せて書いているということは、殆どリアルタイムの心情を綴っているのと変わりはない。熟考に熟考を重ねて書いたものであれば一つの作品として読み返す価値はあるのだろうが、リアルタイムの心情となればそれはもう自分自身であるので、何の感情も生まれないだろう。

好きなはてなブロガーは?

はてなブログにも「Youtuber」のような言葉があると知って驚いているところである。あまりに驚きすぎて質問に答えている精神状態ではないので、スルーさせていただく。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

はてなブログとはてっきりブログサービスのことだと思っていたが、そのサービスに一言メッセージとは一体どういうことだろう。株式会社はてなの社員や、はてなブログのエンジニアの方々にメッセージなら分かるのだが、サービスにメッセージとはどうすればよいのだろうか。怖い話?

10年前は何してた?

「今なにをしているか」を発信するTwitterが流行っている世の中へのアンチテーゼだろうか。Twitter社に対抗するとはなかなか良い度胸だ。近いうちに、Twitterがnowよりもwasに焦点を当てる方針になるようであれば、はてなブロガーの勝利である。

この10年を一言でまとめると?

「10年」、これ以外にはない。成長したこともあれば退化したこともある。嬉しいこともあれば悲しいこともある。そんな日々の積み重ねを一言でまとめるのは不可能に近い。しかし、唯一言えることがあるとすれば、この10年は10年であるということだけである。

 

ではまた。

肉に侵食された世界

今週のお題「肉」

「大変だ!肉がすぐそこまで来ている、、!!このままだと肉に侵食されてしm..........」

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肉肉の肉肉は肉である。肉といえば、肉肉や肉き肉、肉肉など、肉肉なシーンで肉いられることで肉られている。肉肉は、これらの肉肉なシーンに肉を肉肉する肉肉肉からやってきた肉肉肉だ。肉肉肉とは、肉肉肉を肉肉とした肉肉を肉う肉肉である。肉肉肉にどのような肉肉を肉っているかというと、肉肉いくつか肉に肉げた、肉肉、肉き肉、肉肉といったバラエティ肉かな肉肉が肉肉されるシーンに肉した肉肉肉を肉肉するための肉肉だ。肉えば、肉肉、肉の肉、肉肉といった、まるで肉肉の肉肉メニューのような肉肉が肉肉されており、その肉しさが肉に肉肉までやり肉げることができた肉はごくわずかと肉われている。しかし、その肉肉を肉え肉くことができれば、肉れて肉肉肉で肉こりうる肉肉なシーンに肉り肉てられた肉肉の肉肉として、肉かな肉肉が肉肉されるため、肉肉肉であるのだ。

肉肉の肉肉としては、肉肉や肉き肉、肉肉など、ある肉肉肉肉な肉肉には、肉に肉が肉肉の肉肉な肉肉を肉肉に肉肉しており、肉肉はさらに肉肉を肉肉していく肉肉がある。肉肉は肉肉には肉まっていないが、どうやら肉肉には、「肉いね、肉肉」という肉肉肉肉な肉肉があるらしい。肉肉が肉肉肉な肉肉としてはこれを肉肉ごすわけにはいかない。また、肉肉のような肉肉ではなくセリフの肉肉という肉、そして、肉肉肉肉肉に肉肉できるという肉でも、肉肉が肉肉できる肉肉な肉肉になることだろう。

肉く肉りすぎてしまった、これからオードリー肉肉肉にご肉肉に向かうので、これで肉肉する。

訳)

我々の名前は肉である。肉といえば、贅肉や焼き肉、肉親など、様々なシーンで用いられることで知られている。我々は、これらの様々なシーンに肉を提供する肉惑星からやってきた肉星人だ。肉惑星とは、肉派遣を目的とした訓練を行う惑星である。具体的にどのような訓練を行っているかというと、先程いくつか例に挙げた、贅肉、焼き肉、肉親といったバラエティ豊かな熟語が使用されるシーンに適した肉人材を育成するための訓練だ。例えば、針山、血の池、抜舌といった、まるで地獄の定番メニューのような内容が採用されており、その厳しさが故に最後までやり遂げることができた肉はごくわずかと言われている。しかし、その訓練を耐え抜くことができれば、晴れて人間界で起こりうる様々なシーンに割り当てられた言葉の一部として、確かな地位が確約されるため、皆必死であるのだ。

現在の状況としては、贅肉や焼き肉、肉親など、ある程度有名な言葉には、既に我が惑星の優秀な要員を十分に派遣しており、今後はさらに勢力を拡大していく必要がある。目標は明確には決まっていないが、どうやら日本には、「憎いね、三菱」という大変有名な一節があるらしい。有名が大好物な我々としてはこれを見過ごすわけにはいかない。また、従来のような単語ではなくセリフの一部という点、そして、同音異義語に挑戦できるという点でも、我々が成長できる重要な機会になることだろう。

長く喋りすぎてしまった、これからオードリー若林殿にご挨拶に向かうので、これで失礼する。

 

加藤茶なんて言わせない

今週のお題「好きなお茶」

好きなお茶という質問に間髪入れず答えられる人はどれくらいいるだろうか。烏龍茶、麦茶、緑茶といった王道茶はなんとなく答えたくないし、玉露やほうじ茶、抹茶は緑茶に分類されると聞いたことがあるので、結局王道茶を答えることになってしまう。

正直、本来は日本のレジェンドコメディアンである加藤茶についての記事を書く予定だった。しかし、色々調べていくうちに、彼の偉大さや人間としての深みを再認識し、「好きなお茶は加藤茶!」などとヘラヘラしながら言っている自分が恥ずかしくなってしまった。そこで、少し姿勢を正し、反省の意も込めてお茶について真面目に調べてみることにした。

参考にしたのは、下記のサイトである。なお、私はお茶について一切の専門知識を持ち合わせていないため、とりあえず下記サイトの内容を信じてみるというスタンスであることをご了承いただきたい。後々、他の文献やサイトにも目を通してみるつもりである。

shop.senchado.jp

「お茶を大まかに3つに分けると、緑茶、烏龍茶、紅茶となり、それらは茶葉の発酵(酸化)具合によって分類される」。いきなり衝撃である。緑茶や紅茶はなんとなく様々な種があることは知っているため、大分類レベルの扱いであることにも納得できるが、ここに烏龍茶が肩を並べていることが衝撃である。アイスで例えるなら、バニラアイス、フタバ食品のSACREレモン、チョコアイス。このうちフタバ食品のSACREレモンは明らかに大分類としては相応しくないように思えるが、烏龍茶が認められるのならそれも有りなのかもしれない。

そしてもう一つ衝撃を受けた点。それは、上記の3分類が茶葉の発酵(酸化)具合によって決まるという点である。りんごとぶどうのように、まるきり製法が異なるものだと思っていたが、どうやら根本は共通しているようだ。

となると、緑茶が緑色で、烏龍茶や紅茶が茶色である理由も納得できる。私は以前京都の大学に通っており、ある講義でご当地であった玉露について学習する機会があった。確かそのときは、濃い緑色の茶葉に少しずつお湯をかけ、蒸しながら旨味を出すということを教わった覚えがあるが、これは、発酵(酸化)という過程がない緑茶ならではものであったのか。当時は、何も考えず講義を受けていたが、思わぬタイミングで伏線を回収できた感じがして嬉しい。嬉しくてほくほくである。ほくほくなのでここらへんでこの記事を書くのもやめてしまおう。

では、バイ茶〜。

サボテンのように振る舞う人、いますよね

今週のお題「サボる」

「サボる」、耳で聞いた感じだと「怠ける」という意味の、いわゆるサボタージュを動詞化させた言葉が思い浮かぶ。耳で聞いた感じだとと書いたが「サボる」とは本来そういう言葉だ。しかし、意外と文字で見る機会があまりないせいか、どうも耳で聞いた際の本来の「サボる」とは異なる言葉のように思えて仕方がない。

「サボ」という文字面を見て、「サボタージュ」が第一に思い浮かぶ人はどれくらいいるだろうか。おそらくいないだろう(多分いる)。私にとって「サボタージュ」という言葉は、日常生活で使用した記憶がない程度にはマイナーな単語である。きっと皆さんもそうだろう(多分違う)。

では、私が「サボ」という文字面を見てまず思い浮かべる単語は何なのか、ずばり「サボテン」である。

そういうわけだから、今週のお題である「サボる」という文言を見たときは、なんとなくサボタージュのことだとはわかっていても、サボテンを動詞化した「サボる」という珍しい言葉がお題なんだなという印象を受けたのである。

正直、サボテンを動詞化した「サボる」という言葉は聞いたことがないが、おそらく、サボテンのように振る舞うことという意味なのだろう。

私の思うサボテンのイメージは、トゲトゲしていて、触るもの皆傷つけるというややネガティブなものである。サボテンについての知識をあまり持ち合わせていないため、この程度しか思い浮かばないわけだが、それではサボテンに失礼であるので一応中身の部分も調べてみる。ここでいう中身の部分とは人間でいう性格のようなもの、つまり植物でいう花言葉である。

サボテンの花言葉は、「枯れない愛」「燃えるような愛」「秘めたる情熱」らしい。正直、「溢れ出る憎しみ」や「傷つける喜び」のようなものを想像していたため、意外な結果となり驚きが隠せない。

上記を整理すると、サボテンとは、内側には秘めたる情熱や愛情を持っているのに、つい反抗したり攻撃的になってしまう植物ということができる。また、サボテンのように振る舞うことを意味する「サボる」もそのようなツンデレ的な意味合いであると考えられる。

なんだ、ただの思春期真っ最中じゃないか。

ようやく文字面で見る「サボる」の意味が解明できたところで、これ以上書くのは面倒くさいというサボり感情がもくもくと湧き上がってきた。こうなってしまうともう終わりである。私のサボり経験やサボり癖のある友人の面白話については、またいつか記事にするとしよう。

ではまた。